タンマガーイ寺院について เกี่ยวกับวัดพระธรรมกาย
総本山タンマガーイ寺院の歴史はパークナーム寺院の住職、プラ・モンコンテープムニー(以下、大師)が瞑想を通じて釈尊の智慧を自分で見出し再発見するために、1916年に自らの人生をかける決心で出家したことから始まります。大師の献身的な教えと師が発見したタンマガーイ瞑想法は人気となり、多くの人がパークナーム寺院へ瞑想を学びに来るようになりました。そして、大師の中で最も才能のある弟子はクンヤーイ・ウバシカ・ジャン・コンノックユーン(以下、クンヤーイ先生)でした。
パークナーム寺院住職の大師がこの世を去った後、クンヤーイ先生は寺院に残り瞑想指導を行っていました。そこへ当時、高校生であった現タンマガーイ寺院住職ルァンポー・タンマチャヨー師(以下ルァンポー)が瞑想を学びに通うようになり、大学卒業後1969年8月27日にパークナーム寺院において出家し僧侶となりました。
その後、パークナーム寺院内のクンヤーイ先生の住まいが、瞑想を学びにやってくる生徒数に対応できなくなったため、タンマガーイ寺院は1970年にルァンポーとクンヤーイ先生によって設立されました。寺院を建設し始めた頃、この敷地には満足な建物が何もない状態でしたが、良い人を育てることに必要を要していたので、ルァンポーは「仏教後継者育成コース」を夏休み期間中に開講しました。寺院の建築物はまだまだ形を為していませんでしたが、毎週日曜日に一般人を対象にした瞑想会を催し始めました。
パトゥンタニー県クローンルァン区クローンルァン・サームの敷地は、荒れ果てた状態から今のタンマガーイ寺院となりました。寺院が世に知られるようになり、1979年には初めて、全国の大学仏教サークルの学生を対象にした「仏教後継者育成短期出家コース」が開催されました。
1981年ルァンポーの考案で、全国仏教教理コンテスト「人生の向上への道」が開催されました。これは、38項目の吉祥を仏教教理の題材としていました。28年を経て参加者数は、延べ4000万人を数えるようになりました。この参加者たちは、このコンテストから学んだことを生活に生かしながら、より良い暮らしを送っています。196ライ(1ライ1600㎡)の敷地では、人々を収容しきれなくなりました。1984年には、敷地を新たに2000ライ拡張しました。
1985年、初めて雨安居(カオパンサー)と言う、3ヶ月間の「仏教後継者育成短期出家コース」が、一般人を対象に開催されるとともに、全国からの見習い僧を受け入れ、パーリ語の教育を実施し、後に仏教学校が創立へと繋がりました。また、全国の僧侶のための修行コース、いわゆる頭陀行が行われました。1986年、全国各地の家庭や会社などを拠点に瞑想会が開かれるようになり、仏教の発信地が増えていきました。同年、男女寺院スタッフの募集も行われ、大学卒業者で仏教布教に貢献したい人たちに寺院活動のお手伝いをしてもらうようになりました。また、国連からNGOとして認定され、スイスにおける国連総会の場で、社会の健全な発展についてタンマガーイ寺院代表がスピーチを述べるなど、何度も国連が主催する国際的セミナーに招待されるようにもなりました。1988年パーリ語9段合格者の祝賀式を開催しました。これは僧侶と見習い僧のパーリ語学習のための励みとなるためのものです。人々が仏法の光を心に灯して、内面から生じる幸福を知ることは、ルァンポーが僧侶として仏門に入門した時からの願いでした。こうして、布教活動は国内だけではなく海外でも広く行なうようになります。
1992年に海外での布教活動が始まり、2015年現在までに世界中161の別院ができ、各国で布教活動が積極的に行われています。毎年、宗教や国籍の異なった外国人たちが全世界から集まり、タンマガーイ寺院で行われる仏教行事には十万人を超える人々が参加するようになり、当時の瞑想場では収容しきれなくなりました。そのために、1994年にタンマガーイ大仏塔の建立計画が立ち上がりました。この場所は、将来、世界の仏教センターとなると計画されたものです。1995年、プラ・モンコンテープムニー大師の記念館を建設し始めました。この記念館は、大師のタンマガーイ瞑想法を再発見した功績を称え、末永くその偉業を記憶するためのものでした。
1996年、寺院を訪れる人々の数が膨大なものとなり、大瞑想場(サパー・タンマガーイ・サーコーン)が増築されました。大瞑想場では、一万人の見習い僧の出家式や、十万人の男性の八斎戒を守る行事、十万人の女性の八斎戒を守る行事など様々な式典が行われています。
2002年、ルァンポーが発案して、24時間の仏教放送DMC(ダンマ・メディア・チャンネル)の放送を開始しました。この放送は衛星やインターネットを使い、英語、中国語、日本語、インドネシア語等を、同時通訳しながら世界中に配信しています。
タンマガーイ寺院、タンマガーイ財団のタイ社会と世界への役割
現在、社会問題は、格差社会や社会不安の拡大など悪化する一方です。その原因は、人の心に問題があるからです。社会の平和と発展は,物理的技術の発展によるものだけではなく、精神の向上も大切な要素です。その精神的なものは、自分と社会、世界に対しての責務をもたねばなりません。
タンマガーイ寺院とタンマガーイ財団は、社会への責任を持つものとして誕生し、社会と世界平和の発展のために、これまで40年以上に渡り、変わらず活動しており、これからもその活動を繰り広げていきます。
人は心が清らかになれば、考え方・話し方・行動も良い方向に向かいます。このためタンマガーイ寺院では、ワットパークナーム寺院住職プラ・モンコンテープムニー大師が再発見したブッダが実践していた瞑想法を指導しており、これを行っている人々は清らかな心から内面の平和を得て世界平和へと繋がっています。
タンマガーイ寺院の布教履歴
1. 短期出家コース
青年たちに、清らかな心、そして道徳を備えた人となるために、夏休み期間中に学生や一般人を対象にして短期出家コースを開催しています。その参加者一人ずつが蚊帳で生活するという頭陀行を行い、仏陀の教えを聞き戒律を厳守、瞑想修行をします。更になる仏陀の教えを学ぶ希望者には、性別や年齢を問わず各コースは、それぞれに相応する仏陀の教えの内容を選んで教えています。大学生や高校生の女性訓練コースも開いており、更に、公務員・軍人・警察・一般の方などのために、道徳を教えるコースもあります。
2. 仏教教理試験
仏陀の教えを学ぶことを青年たちに興味をもってもらうために、タンマガーイ寺院が「人生の向上への道」という仏教教理試験を毎年開いています。この試験で最優秀者には、国王からの賞品が与えられます。入学試験を受ける人は1982年に300人でしたが、2014年には、全国18,175校から6,042,670人の学生が参加されるほどになりました。
3. Vスター
Vスター、良き星というプロジェクトは、全国の小、中、高校生を対象に道徳を身につけることを目的にして、自分ができる身の回りの簡単な良い行いを毎日励行して、その結果を日記に書き記し、先生や両親に報告する、ということを指導しています。文部省が支援しているこのプロジェクトでは、年二回、参加者全員が揃った中で、省高官による成績優秀者への賞品授与式が開催されます。2008年度の参加者数は、50万人を超えました。このプロジェクトの実施によって、タイの小、中、高校生の道徳モラルが向上したと、全国から賞賛の声が挙がっています。
4. 24時間仏陀の教えを放送する活動
24時間、世界中に衛星放送とインターネットを通じて、仏陀の教えを放送するというプロジェクトを開いています。このDMC番組は、2007年に米国映像界で最も有名で権威ある国際コンテストのひとつ「テリー賞」で12部門において受賞しました。
この番組を毎日100万人に上る人々が視聴しており、仏教放送DMCを通して瞑想、因果応報などの仏教の教理と実践を学びながら、自分の暮らしに実践し役立てています。この仏教放送DMCが始まったことをきっかけに、津波被害者を救済する運動、被災され亡くなられた人々の追悼式の開催など社会における道徳の高まる活動が次々と行われるようになりました。
現在、紛争の絶えないタイ南部での仏教寺院、僧侶への援助のために、仏教放送DMCが、この媒体として全国各地への援助呼びかけを行い、大きな役割を果たしています。
5.仏教の教育を応援する活動
タイにおける仏教繁栄の理由は、仏陀の教えをよく学びよく実践し、戒律の厳守と修行に絶え間なく励んで人々の尊敬を集めている僧侶達が指導にあたっているからこそです。
タンマガーイ寺院では、善良な僧侶を育成するために寺院の中に仏教教理を教えるタンマチャャイ仏教大学を設立しました。その学校では、仏教教理部・パーリ語学部などを開設しています。更に、他の寺院の仏教教理の向上のために、次のようなプロジェクトが設けられています。
1.パーリ語を学ぶことを奨励するために、最高位9段のパーリ語試験に合格した僧侶・見習い僧の祝賀式を行っています。
2.他の寺院の住職や地域社会の長老僧侶やリーダー僧侶を招待し、説法と技法を教育し寺院運営のシステムの紹介も行っています。
3.仏教研究の発展のために、パーリ語文献協会(Pali Text Society、PTS)から許可を受け、PTS版パーリ語の三蔵経をデータベース化し、世界中の研究者にこのソフトを研究のために提供しています。
2008年には東京大学が主催する大蔵経テキストデータベース研究会とタンマチャイ仏教大学との間で、大蔵経とPTS版パーリ語の三蔵経の共同研究の提携を結びました。この共同研究が完成すれば、世界の仏教界への有益な影響が期待されています。
6.慈善活動
タンマガーイ寺院は、全てのタバコ、お酒や薬物を止めて、捨てる運動を奨励した結果、国内だけではなく海外においてもこの活動は広がっていきました。特に寺院境内には、タバコ、お酒や薬物などの一切の持込も使用も出来ないように、皆さんへの協力を呼びかけ実施されています。
更に、寺院はタンマガーイ財団と共に、公共のために様々な活動を行っています。例えば、国内・海外でのタバコを焼却し、お酒を捨てる運動を行いました。
このような運動の成果で、2004年WHO(世界保健機構)より世界初の僧侶としてルァンポー・タンマチャヨー住職は、このWORLD NO TABACCO DAY(世界禁煙日)賞を受賞されました。次いで世界平和への貢献から2005年ルァンポーは、ガンジー平和賞を授与されました。
タイ南部の紛争によって323寺院が被害を受けているので、タンマガーイ寺院とタンマガーイ財団は、各寺院に生活必需品など必要なものを援助しています。このために全国の寺院に呼びかけ、一年間に50万人の僧侶を動員することを目標に托鉢行事を数度にわたり行って、これに集まった数々の品々を南部寺院に贈呈しています。また、南部の津波被害者に援助金を送って、亡くなった方のために供養式を行いました。
海外活動
国際社会への布教活動については、タンマガーイ財団は1986年世界仏教徒連盟に加盟、1988年には世界仏教青年連盟に参加しました。また、海外組織と協力し世界平和への様々な活動を行っています。
寺院には世界33カ国に161ヶ所の別院があり、内面の平和を得て世界平和へ繋がるためのタンマガーイ瞑想法を広く紹介しています。
また、インターネットを通じて、ピースレボリューションという、オンラインで世界中の外国人に瞑想指導をしたり、各国でのタイ王国との交友関係を築く活動も行ない、タイ文化に興味のある学生に勉強会の開催も行っています。
これからもタンマガーイ寺院とタンマガーイ財団は、これまでの方針通り、人々の心に良き種を蒔きながら僧侶や社会のリーダーなどを訓練して社会に欠けていると思われる道徳を教え、それぞれの地域繁栄のために役立てる決意です。
外界の平和は心の内の平安より
人間はだれでも自分の安楽そして社会の平和を求めるでしょう。多くの人々が学歴・財産・地位・名誉があれば幸せになると考えて一生懸命に仕事をしています。しかし、人々の実態を眺めてみると、大学者・大金持ち・国々の指導者らは必ずしも幸せではないようです。場合によって逆に一般の人々より悩みが多いかもしれません。そうすると、どうしたら幸せになれるのかという質問が起こります。ここに幸せに導くお釈迦様の教えを紹介します。
仏教の教えでは、幸せになるために確かにある程度の財産なども必要であるが、それらの他に以下の三要因が欠かせないものであると言われています。
1.布施:この布施の目的はお互いに助け合い・護り合うことにあります。ただ物を他人に上げるだけではなく、自分の心から怒りや忌みを追い払って、いつでも素晴らしい気持ちで善意をもって人々に接することもこの布施に含まれます。それは無畏施と呼ばれます。
2.持戒:五戒つまり不殺生・不盗・不邪淫・不妄語・不飲酒は基本の戒律です。戒律を守る目的は自分と他人を傷つけないことにあります。ある人は自分の利益のために他の生き物を殺したり、他人の財産を盗んだり、みだらな行為をしたり、うそをついたりしています。それは長い日で見れば決して幸せにはなりません。その罰はいつか必ず自分に戻ってきます。もし自分が殺されたり財産が奪われたり、愛している人がみだらな行為をされたり、騙されたりしたらどんなに苦しむかとよく考える必要があります。他人に同情して行動することも持戒に当たります。酒を飲むこととは自分を傷つける持戒に反することです。
3.瞑想:瞑想の目的は心を安定させることです。心が安定すれば自然的に清らかになります。安定して清らかな心を持っていない人はいいことをしようと思っても時々欲望に負けて悪いことをやってしまいます。このように瞑想は布施や持戒など善行を仕えるものです。
他人を助けず、他人に護らず。利益があれば他人を傷つけてもかまわないと思い、心が不安定で汚い人は大金持ちであっても、威力があっても決して幸せになりません。しかも、そのような人は社会に不安をもたらします。反対によく他人と助け合って護り合い、自粛して正しい生活をし、安定して清らかな心を持つ人はごく普通の人であっても幸せになります。そしてこのような人が多くなれば、その社会は平和になります。
このように布施・持戒・瞑想は修習している人に心の安定をもたらし、同時に社会の平和をもたらします。これは仏教徒に限らず、全人類に共通で、普遍的なものです。
上座部仏教とは
釈尊在世時代の教理、思想をセイロン(現・スリランカ)、ビルマ(現・ミャンマー)、タイ、カンボジア、ラオスなど東南アジア方面に忠実に伝わった仏教です。それぞれの国の僧侶は、釈尊が悟りを得た時に行った瞑想を規範として、それに忠実に従って瞑想を実践しています。また、上座部仏教がパーリ語という一種の古いインド語で書かれた三蔵聖典を使用しているので、パーリ仏教とも言います。大乗仏教では上座部仏教を含め部派仏教全体を指して小乗仏教と呼び、日本もそれを受け継ぎました。しかし「小乗」とは「大乗」に対して「劣った教え」という意味でつけられた蔑称であり、上座部仏教側が自称することはありません。世界仏教徒の交流が深まった近代以降には相互尊重の立場から批判が強まり、徐々に使われなくなりました。1950年6月、日本の伝統仏教各派も加盟する世界仏教徒連盟(WFB)第一回世界大会がコロンボで開催された際、小乗仏教という呼称は使わないことが決議されました。
総本山タンマガーイ寺院住職
現在、総本山タンマガーイ寺院は、タイ国内全土の仏教徒が集まる寺院であり、仏教の重要な儀式を行なうと世界中から様々な人が訪問し瞑想を行なう場所となりました。このような成功を収められたのも、ルァンポー・タンマチャヨー住職が懸命に布教活動に取り組んできたからです。この功績が認められ、タイ王国国王より以下のように地位を表す僧名を授与された。
1991年12月5日 僧名 プラスタンヤーテーラ
1996年12月5日 僧名 プララーチャパーワナーウィス
2011年12月5日 僧名 プラテープヤーンマハームニー
総本山タンマガーイ寺院副住職
総本山タンマガーイ寺院、ルァンポー・タッタチーウォー副住職は1941年、タイのカンチャナブリで生を受け、タイの教育システムの中で公立学校に通った後、オーストラリアの大学院にて修士課程を修了されました。
1971年、30歳で出家され、プラモンコンテープムニー大師より受け継がれたタンマガーイに到達するための瞑想をタンマガーイ寺院創立者であるクンヤーイ先生とルァンポー・タンマチャヨー住職と共に学ばれました。
現在は、タンマガーイに到達するための瞑想法を伝え、仏の教えによって心の安らぎと世界平和をもたらす為に設立されたタンマガーイ財団の副代表も兼任されております。
タイ国内だけではなく、これまで40年以上に渡って国際社会に向けて仏教の教えを分かりやすく伝え、仏教の布教活動に勤しまれております。
1992年 僧名 プラパーワナーウィリヤクン
2013年 僧名 プララーチャパーワナージャーン
総本山タンマガーイ寺院住職補佐・宗教法人タイ国タンマガーイ寺院日本本院総住職
2014年 タイ王国女王よりサオセーマータンマジャックを受賞
(毎年タイ全土から社会貢献をした宗教関係者160名が選ばれ受賞されるものです。生涯に一度しか選ばれることのないとても名誉のある賞です。)
タイ国タンマガーイと協賛
1.タイ国上院宗教倫理芸術文化委員会
2.上院宗教文化委員会
3.下院宗教文化委員会
4.タイ国仏教局
5.パトゥンタニー県
6.世界仏教徒連盟
7.世界仏教青年連盟
8.V-Peace世界平和ボランティア
9.タイ全国団結連盟
10.国際善行伝統協会
11.全国優婆夷協会
12.在日タイ寺院
宗教法人タイ国タンマガーイ寺院日本本院
1984年、タイ王国僧伽副僧長、タンマチャヨー住職、タッタチーウォー副住職が広島県にある国泰寺住職、福原哲巌住職(当時)より招待を受けたことが、日本でタンマガーイ寺院が活動を始めるきっかけとなりました。招待を受け、1990年10月18日、タッタチーウォー副住職がターナヴットー比丘と共に国泰寺仏像を安置しに来日しました。
1990年10月10日来日、ターナヴットー比丘はタンマチャヨー住職の使命を受け、さらに深く原始仏教を学ぶために、東京大学大学院へ入学しました。ターナヴットー比丘は、留学に際し、世田谷区にある「祖師谷」という留学生寮を借り、日本での生活を始めました。また、この部屋を仏教の儀式を行う場所としても使用していました。時と共に仏教行事に参加する方が増え、小さな寮の部屋では人が入りきれなくなってしまいました。そこで、いつも瞑想にやってきていたタイ人が働くレストラン「ラーンタイ」でタイ人学生や結婚をして日本で暮らすタイ人、日本人に対して毎月1度瞑想会を行うようになりました。瞑想会は1991~1996年まで毎月、ターナヴットー比丘が一人で瞑想指導、説法とすべてを行っていました。
1996年、タイ総本山から3名の僧侶が来日しました。そのため、赤羽根にある井出コーポというアパートを借り、儀式の会場とすると共に僧侶、優婆塞、優婆夷の宿舎としました。同年5月の第一日曜日に瞑想会が開始され、毎週日曜日には多くのタイ人が訪れるようになりました。タイ人、日本人と来院される方が増え、アパートではすべての人を収容することが難しくなり、他の場所を探さざるを得なくなりました。そして10月、井出コーポの近くにあった第2番目となる瞑想所「金子」という建物を借りることが出来ました。ここは100名を収容出来る場所でした。場所が大きくなったこともあり、訪れる人もあっという間に増えました。2年経ったときには、大きな儀式は約1千名の方が集まるようになり、赤羽会館を借りて行わなければならないほどになりました。仏教を求める人々がこのように増えたことを目の当たりにし、日本に寺院を開く必要があると誰もが思うようになりました。この声は日々大きくなりました。寺院に関わるすべての人が寺院の開設のために協力し合い、2000年3月、6階建て1200㎡あるビルを購入し、瞑想をする場所としてふさわしい形へと内装工事を行いました。
そして、同年5月21日、在京タイ王国大使館のノンヌッチ・インカワラ氏、荒川区長を招き、オープニングセレモニーを行いました。3番目のこの場所は「国際法身瞑想センター(英語:DHAMMAKAYA MEDITATION CENTER OF JAPAN/タイ語:スーンバティバッタム・トウキョウ」と名付けられました。
その後、2002年11月22日に東京都より宗教法人の認可を頂き、日本で初となる、正式なタイの寺院が誕生しました。認可に伴い、寺院名を「宗教法人タイ国タンマガーイ寺院」と改名しました。
2008年、総本山タンマチャヨー住職よって、タイの名称としていた「スーンバティバッタム・トウキョウ」から「ワットプラタンマガーイ・トウキョウ」とタイ語名も改名することとなりました。
以降、これまでに9カ所開設されています。
2000年3月27日 タンマガーイ寺院大阪別院
2003年2月28日 タンマガーイ寺院長野別院
2004年4月24日 タンマガーイ寺院栃木別院
2004年7月24日 タンマガーイ寺院神奈川別院
2006年9月10日 タンマガーイ寺院茨城別院
2008年6月8日 タンマガーイ寺院埼玉別院
2009年7月12日 タンマガーイ寺院山梨別院
2011年1月1日 タンマガーイ寺院名古屋別院
2011年5月5日 タンマガーイ寺院群馬別院
宗教法人タイ国タンマガーイ寺院日本本院
タイ人僧侶によって上座仏教(釈尊から伝わる伝統仏教)の教義を主体とした法話、瞑想指導を行い、在家信者の身心安定向上、生活安定向上を促しています。
当寺院は終日開院し、常時僧侶が在院しています。
平日布教行事
出張説法会・在家信者の依頼(冠婚葬祭を含む)で出張。地域を問わず、依頼があれば週末も僧侶が出向き、法話会、瞑想指導などを行います。
毎月第一日曜日の行事とその他日曜日の行事
10:00 托鉢・寺院内で行います。
在家信者が持参した飲食物を僧の鉢にいれて献上します。
10:20 五戒を授かる受戒式・僧侶への食事献上式・読経などを在家信者が皆で読経します。
11:30 瞑想・・・・総本山タンマガーイ寺院から衛星で住職の法話を同時放送します。
13:00 昼食
14:15 説法・・・・僧侶が在家信者に説法を行います。
放生会・・・僧と信者が川まで出向き、魚を川に放し健康を願います。
15:45 瞑想・・・・総本山タンマガーイ寺院から衛星で住職の法話を同時放送します。
16:30 終了
なお、各別院の都合によって時間や行事が異なる場合があります。
年中行事
マーカブーシャー・・・2月の満月の日1250人の阿羅漢が仏陀の下に集まり重要な説法を受けた日。説法を受け、瞑想をし、皆がろうそくを灯してお釈迦様に捧げます。
ソンクラーン祭り(水掛け祭り)・・・4月13日(13日が日曜日でない場合、行事はすぐ後の日曜日に合わせます)。仏像・在家者に水をかけてタイの旧正月を祝います。
ウィサーカブーシャー・・・5月の満月の日(行事はすぐ後の日曜日に合わせます)。仏様の誕生・悟り・入滅の日。説法を受け、瞑想をし、釈尊の悟りに感謝します。
見習い僧短期出家コース・・・毎年8月の10日間程、男性を対象に短期出家を体験することができます。参加者は剃髪し、見習い僧としての10戒律を遵守し、上座仏教教理の修学及び瞑想修行を行います。
ロイカトン・・・ 11月の満月の日(行事はすぐ後の日曜日に合わせます)。灯篭流し。仏・神への尊敬、自身の願い等を込めて、花で作った灯篭を川に流します。
ガティナ式・・・雨安居明け(10月の満月の日)の後一ヶ月以内の日曜日。僧侶に衣を献上して功徳を積む儀式です。
男性在家者、女性在家者の仮出家コース・・・年1回、1日コース。8戒律を遵守し、上座仏教教理の修学及び瞑想修行を行います。
合宿瞑想修行会・・・自然の多い景勝地で僧侶と在家者が合宿を行います。
合宿善行会・・・第一日曜日の週末及びお正月に寺院内で、在家信者が説法を受け、瞑想をし、タイ仏教の実践を習得します。
子供仏教グラブ・・・毎年の第一日曜日仏教行事の特別な機会に際し、子供仏教クラブがタイ語やタイの文化。習慣などのタイのことを行います。
タイ語会話教室及び文化交流会・・・僧や当院在住の留学生が日本人の希望者に、初歩的なタイ語会話を教えます。学生並びに社会人、ボランティア団体との文化交流会を行います。
僧侶及びスタッフの学歴
大学院博士課程卒業 12名
大学院博士課程在学 8名
大学院修士課程卒業 16名
大学院修士課程在学 2名
大学卒業 10名
大学在学 6名
専門学校在学 3名
日本語学校卒業 15名
日本語学校在学 8名
合計 80名
布教履歴
日本の方を対象にした活動も多く行なっています。
1 大学での講義
龍谷大学、同志社大学、佛教大学にてアジアの仏教文化等の講義を行なっています。
2 特別講演会
各大学からの依頼により、大谷大学、京都光華女子大学、立正大学、東洋大学等でタイ仏教や 瞑想指導を行なっています。
3 東日本大震災供養式
宮城県気仙沼市にて、大震災で亡くなられた方々に向け、心からのご冥福を願い、読経、瞑 想、灯明を行ない供養しました。
4 タイ仏教瞑想センター
日本の皆様に瞑想をもっと知っていただくために出来たタイ仏教瞑想センターです。火曜日~ 日曜日まで毎日日本人向けの瞑想コースを開いています。
5 瞑想会:常圓寺
毎月 1 度、新宿常圓寺をお借りして、瞑想会を行なっています。
6 瞑想会:清流園山小屋カフェ
短期出家に参加された方の要望を受け、栃木県日光市で毎月 1 度瞑想会を行なっています。
7.国際文化・宗教文化交流会
京都府名誉友好大使として小学校や公民館にてタイ文化やタイ仏教について紹介したり、日本 の寺院で瞑想指導をしています。
8 国際短期出家 日本語コース
2009 年より始まった短期出家コースです。全過程日本語で行い、厳粛な出家得度、及び僧侶 として修行、瞑想の日々を送っていただきます。
9 タイ瞑想村
宿泊型瞑想施設として誕生します。現在はタイ人向け、日本時向けの週末瞑想会をそれぞれ開 いています。
その他にも、日本の方に瞑想やタイ文化を広くお教えしています。
日本における仏教研究成果
コンカーラッタナラック プラポンサック ・学会会員 龍谷仏教学会(2002 年〜)、日本印度学仏教学会(2007 年〜)、 パーリ学仏教文化学会(2008 年〜) ・口頭発表 「阿含・Nikāya における止観の成立と展開」(2007 年度龍谷仏教学会 学術研究発表会:龍谷大学)、「〈止行者・観行者〉と〈定〉について」 (パーリ学仏教文化学会第 23 回学術大会:高野山大学)、「現代タイ 仏教における止観の実践法」(パーリ学仏教文化学会第 24 回学術大会: 南山大学)、「説一切有部文献における止観」(日本印度学仏教学会第 61 回学術大会:立正大学)など ・調査報告 「タイ仏教の現状」(2010 度龍谷大学アジア仏教文化研究センター第 1 回ユニット 1(南アジア地域班)研究会:龍谷大学)、「宗教的寛容と 共存の可能性:タイ国南部の現状を中心として」(2013 度龍谷大学 アジア仏教文化研究センター第 2 回ユニット 1(南アジア地域班) 研究会:龍谷大学)
・学術論文 「Nikāya における止観の研究」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』29)、18 「阿含・Nikāya における止観の成立と展開」(『印度学仏教学研究』57-2)、 「後代パーリ文献における止観」(『仏教学研究』65)、 「〈止行者・観行者〉と〈定〉について」(『パーリ学仏教文化学』23)、 「説一切有部文献における止観」(『印度学仏教学研究』59-1)、 「北伝部派文献における止観」(『仏教学研究』67)、 「慧解脱者は四禅を必要としないのか」(『パーリ学仏教文化学』26)、 「止行者と観行者の対立:現代タイ仏教界の瞑想法をめぐって」 (『仏教学研究』69)など ・著書 「禅定の実践」『倶舎:絶ゆることなき法の流れ』自照社出版:2015(共著)
チャイトンディー プラマハチャッポン ・学会会員 日本印度学仏教学会(2009 年〜)、 パーリ学仏教文化学会(2009 年〜) ・口頭発表 「Lokappadīpakasāra(『世間灯明精要』)の研究序」(日本印度学仏教学会第 60 回学術大会:大谷大学)、「Lokappadīpakasāra(『世間灯明精要』)の成立 背景」(パーリ学仏教文化学会第 23 回学術大会:高野山大学)、「後代パーリ 仏教の世界に与えた Lokappadīpakasāra の影響」(日本印度学仏教学会第 62 回学 術大会:龍谷大学)、「Lokappadīpakasāra の写本に見られる編纂問題」(パー リ学仏教文化学会第 26 回学術大会:龍谷大学)など ・学術論文 「Lokappadīpakasāra(『世間灯明精要』)の研究序」(『印度学仏教学研究』58-1)、 「後代パーリ仏教の世界に与えた Lokappadīpakasāra の影響」(『印度学仏教学研究』 59- 2)、 「Lokappadīpakasāra の源泉資料に関する一考察」(『印度学仏教学研究』61-2)、 「Lokappadīpakasāra(『世間灯明精要』)の成立背景」(『パーリ学仏教文化学』23)、 「Lokappadīpakasāra のビルマ文字写本およびシンハラ文字写本の問題点」(『パーリ 学仏教文化学』26)など ・著書 Visākhā Migāramātā 関係資料、『原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究 12』中央学術研 究所:2007(共著)19 資金の出所 在タイ信者、在日信者の寄付金 ユートピア笠森の購入理由 以下の理由によって、ユートピア笠森の購入を強く希望しています。 1 タイ国タンマガーイ寺院日本本院の本部とするため。 2 日本で暮らす日本人、タイ人への布教拠点とするため。 3 短期型、長期型滞在で行なうことのできる瞑想修行場が必要なため。 4 日本国内において仏教を支える僧侶及び、スタッフの育成場として利用するため。 5 日本人向けの出家コース、その後の修行の場所が必要なため。 6 タイや日本の公的機関の人々の研修所として、おもてなしするため。